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[ 533] 「Firefox 3」がマイクロソフトにとって脅威となる理由:スペシャルレポート - CNET Japan
[引用サイト]  http://japan.cnet.com/special/story/0,2000056049,20370332,00.htm

みんなが同調してくれることを期待しているが、ネットサーフィンに関する私の最大の心配事は、今でもセキュリティだ。そして、この点でMozillaの関係者たちは非常に興味深い仕事をしている。とりわけ、次の2点に注目してほしい。
URL部分をワンクリックすると、その企業のSSL証明書から有効な情報が表示され、そのサイトが適正かどうかを判断できる。
トラックバック一覧からリンクされているウェブページはこの記事にリンクしている第三者が作成したものです。内容や安全性について当社では一切保証できませんのでご注意下さい。
具体的に、「じゃあその理由は何なの?」と言う点が簡潔に挙げられていない為、非常に分かりづらい文章だ。
そのタイトルが内容と一致していると思えない状況では、読者は欲しくもない情報に時間を取られると言う不本意な労働を強いられ、不満を感じるのではないだろうか。
少なくとも私はこの文章に対してこのタイトルは不適切だと感じたし、この内容である事が分かるタイトルが付けられていれば、この記事を読むために時間を割こうとは考えなかったのは間違いない。
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[ 534] 企業にとって資産となるWebサイトの作り方 − @IT情報マネジメント
[引用サイト]  http://www.atmarkit.co.jp/im/cbp/serial/cms/02/01.html

「商品紹介用のWebサイトは、紙のカタログをデジタル化したものだ」──そんなふうに考えていないだろうか? Webサイトの設計をユーザー/顧客視点で行うことは、商品情報というコンテンツの価値向上につながるものだ。(→記事要約へ)
企業における企業活動の1つの指針として、「デジタル化度合」という尺度がある。イノセスというコンサルティング会社のWebサイトに掲載された記事「デジタル化がもたらす企業価値」によると、デジタル化度合とは、
と定義されている。今回はこのデジタル化度合という観点を交えて、コンテンツのデジタル化の在り方について考察する。
コンテンツはデジタル化されることにより、移動性・検索性・精度・保存性などが高まり、それらに必要なコストが低減する。とはいえ、どのようにデジタル化するかによって、得られる効果は大きく違う。
いま流行のデジタル一眼レフカメラを買った人間がいるとしよう。この人が交換レンズを追加購入したいと思い、オプションレンズにどのようなものがあるかを調べるためにカメラメーカーのサイトを訪れたとする。このとき、まずは自分の所有するカメラのページに行き、オプションに何があるかを探すであろう。ところがカメラ本体とオプションレンズの組み合わせは別のページに品番の表があるだけなので、ユーザーは自分の所有するカメラの品番をメモして、これを表で照らし合わせるという手間を強いられる……。
これは、印刷された製品カタログの構成をそっくりサイトに持ち込んだためだ。カタログでは紙面の制限や見た目の美しさの面から、カメラ本体の紹介ページとオプションの紹介ページ、そして組み合わせ表のページが別々になっている。その構造がそのままサイトに反映されているのである。
この商品情報は、カタログ作成段階(DTP)ですでにデジタル化され、サイト構築の際にもそのデータを流用した。したがって「デジタル度合」の尺度から判断すると、デジタル化はなされていることになる。
しかし、このデジタル化はBSC(バランスト・スコアカード)の「顧客の視点」からすると、高い評価を与えることはできない。完全なOne to One(個別顧客対応)とはいわなくても、“○○カメラ”のページを訪れるオーディエンスはそのカメラに興味を持っていることがほぼ確実なのだから、このページからの閲覧には“○○カメラ”に関する情報を整理して表示し、関係しない製品の情報は隠しておくべきなのである。この例の場合、単純に考えても対象カメラに装着可能なオプションを右ペインあたりに表示してあれば、かなり使い勝手のよいサイトになる。
図1 興味の対象となっている製品に関連する情報が同時に表示されていれば、ユーザーはいちいち探す必要がない
このとき、アイテムの数が多ければ、組み合わせの数も莫大なものとなり、手作業で各ページを作ることは難しくなる。そこで、製品・オプションごとに製品名/品番/価格などのスペックとともに、組み合わせや親子関係をデジタル情報として定義し、その規則に合わせて表示させるような仕組みを作ればよい。
ここでのポイントは、同じデジタル化/Webサイト化といっても、単にカタログの延長線でデジタル化したものと、「顧客の視点」でデジタル化したものでは大きな差があるということである。「顧客の視点」の有無によって、サイトの出来上がりには大きな開きが出る。コンテンツが顧客にどのように利用されるのかということまで考えてサイトを設計することは、その企業サイト──ひいては企業やブランド全体の顧客価値の向上につながるのである。
流通業以外にも、製造業でもPIMは使われている。ヨーロッパにある某多国籍製造業ではPIMがほかの基幹業務システムと連動し、各代理店に情報が配信されている。
PILOTではWebサイトのリニューアルに合わせて、会社情報やIR情報よりも更新頻度の高い製品情報サイトに重きを置いて、筆記具・文具の製品情報の構造化を行った。紙ベースのカタログに基づいていたWebサイト上の商品情報を、ペン先の硬さ/色/種類など製品個別の仕様に基づいたデータ構造に変え、CMSに載せたのである。
さらに「楽しく」「機能的に」「こだわって」という分類を設置し、利用者に新たな提案を含めた見せ方を提供できるようにした。その商品アイテムを表現・構成するデータがどのようなものか、きちんと定義できていれば、ルールに従って最新情報に更新することは簡単だ。
いったん製品情報がPIMとして構築されると、そのコンテンツをBtoCのほかに、BtoBやBtoEに転用するといった柔軟性も高まる。新たなイノベーション、企業競争の源泉を生み出す可能性が高まるといえるだろう。PILOTの事例は、製品情報サイトを考えるうえで大きな示唆を与えてくれるのではないだろうか。
コンテンツをデジタル化すると一般に利便性は高まるが、それをどのように行うかによって効果はまったく異なる。紙のカタログをそのままWebサイトに持ち込んでも、ユーザー/訪問者にとっては使いにくいだけだ。
例えば“○○カメラ”のページへの訪問者はそのカメラに興味を持っていることがほぼ確実なのだから、このページにはそのカメラに関する情報だけを表示し、関係しない製品の情報は隠しておくべきだ。
アイテム数が多い場合、これを手作業で行うのは難しい。このときは、製品・オプションごとに製品名/品番/価格などのスペックとともに、組み合わせや親子関係をデジタル情報として定義し、その規則に合わせて表示させるような仕組みを作ればよい。
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[ 535] オタクにとって「足りないのは覚悟」か? - たまごまごごはん
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20070816/1187109472

「これつまらないなあ」「これエロいし見る人いるのかなあ」と口で言って、一部の作品を猛烈に避けていた頃がありました。隠れオタ時代です。
いや、合う合わないはあるのでそれは選ぶべきなんだけれども、入り口を自分でせばめたり、それを好きな人に「自分は嫌いだ」という嫌がらせっぷりを発揮したりと、もうとんでもなく痛々しいことをしたわけですよ。なんというもったいない偏見。
とはいえ、「自分はオタクじゃないんだ」とか言い張っていた時期って、経験あるひともいるんじゃないかと思います。それがプライド?みたいにしてあるがために「エロゲはやらない」とか「これは作画がダメ」とか「エロマンガなんて買わない」とか、勝手にライン引きをしていたものです。
それこそゲームなんかは一生縁のない人は多いでしょうし、アニメやマンガも全く見ないなんて人もいっぱいいます。
まあ、コーサカは割りとリアリティのない特殊なタイプのオタクなのでなおさらそう感じるのですが、オタクになるのってそんな「覚悟」がいるものなんでしょうか。
自分の経験上、オタクになるのは「素に戻る」ことでした。マンガやアニメが好きだったわけです。それを認めたくなかったり、「そんなのは幼稚な趣味だ」みたいな意味のない優越感に浸ろうと躍起だったのでしょう。うわー、中二病だ。
ある程度の「思い切り」はありました。特にエロマンガと同人誌は、最初買うのが非常に山でした。ちなみに一番最初に買った同人誌はタカハシマコ先生のエヴァのアスカ本でした。今でも大切にしてます。はじめて買ったエロマンガは多分鬼魔あづさ先生。
結局、別にオタクに限らず、スポーツだろうが運転だろうが楽器だろうがなんだろうが、最初の一線というのはあるわけです。
それを超えたらはまる、というのはよくある話。多分もともとやりたかったのだと思います。それがオープンに出来なかっただけ。
ただ、「オタク趣味=後ろめたい」という前提をもってしまうと話は別。それでもいいじゃないか、と思えたなら別に気にならないでしょうし、それはちょっと抵抗が、となるとただ勇気で飛び出すのとは違って「覚悟」が必要な場合もあるかもしれません。
「オタク」とか「萌え」っていう言葉自体には意味はないと思います。それをどう受け止めてどのような意味をつけるが、が個々にとって一番大事なところだというか。
だから、普通にマンガが好きな人は自分のことを「オタク」だと思わなくても、まわりから見たらそう思う、なんてこともあります。また自称オタクでアイデンティティを保つ人もいます。どっちも間違いじゃないです。
「オタク」という言葉と、「ミュージシャン」や「アーティスト」や「スポーツマン」も同列に並べてみます。全部趣味であれば、同じだ、と考えられるようになったとき、自分は途端に気楽になりました。人はどう思うかわからないけど、趣味は趣味です。
ならいっそ「自分はオタクだからー」と言って、好きなことを好きなだけやったほうがお得。ついでに今まで避けていたのも見ておこうかな、オタクのたしなみ!とか思えるようになると、どんどんハードルが下がっていきます。
便利なんですよ、オタクって言葉。「ミュージシャンだから練習する」みたいなパワーがこもっている気がします。
もちろん、自分も作品の好き嫌いや得手不得手はいっぱいあります。ただ、それを「嫌いだ」というとどんどん本当に嫌いになる自分がいやになってきました。
これもブログはじめて分かったことだなあと思うのですが、自分がどんなに嫌いでもそれを好きな人は世の中に必ずいるんですよ。
それに対して「つまらないことを」というのは本当に傷つけることになるし、その人が見出している楽しさを見ていない自分は本当に損をしていると思うし。
誰かが心を動かされているものがそこにあるならば、それは見方を変えれば「楽しめる」場合が実はあるんじゃないかと考えるようになりました。もちろんそれでも合わないのは、仕方ない。
これ手前の二人がドオタクで、後ろの二人がノーマル、っていう設定だと思ってください。あ、かがみは最近リアルなちょいオタな気がしますが。
「2人とも生き生きしてんなァ」というセリフが、とてもイイ。これが嘲笑でもなく、突っ込みでもなく、ただその二人への感想なのがいいんですよね。
「何かを楽しもうと真剣になっているオタク」は、とても輝いている気がします。別にオタク人種至上主義*1っていうわけじゃないけれども、否定や拒絶するよりは、色々なものをみて楽しめる方が断然いいと思うのです。
みうらじゅん氏が「作品は楽しいところを探して楽しもうとするときに楽しくなる」ということを言っていて非常に胸に来た記憶があります。つまり、楽しいところを探す過程が楽しい、という考え方。そしたらB級映画もクソゲーと呼ばれる作品も一気に楽しくなります。
そういう意味では、ニコニコはいいものも悪いものも一気に楽しめるようにできる奇才ぞろいなので、新しい視点をガンガン与えてくれます。これはいい。嫌いだったあれが好きになる、なんてことも多々あります。
せっかくだから、好きなものは好き、楽しいものは楽しい、と言いながらオタク文化をかじっていきたいなあと思えるようになりました。
現実逃避?ばっちこい。行って帰ってくればいい。温泉日帰り旅行だ。旅行先では愚痴はなし、楽しむのがルール。
「げんしけん」で書かれていた「覚悟」。本来の意味は違うかもしれないけれど、こう捕らえてもいいんじゃないかと思うのです。
今回、自分の漠然とした視点を書いておきたいなあという気持ちになったきっかけの記事二つ。お二方とも「純粋に楽しもう」という前向きな視点が感じられて、刺激を受けます。好きなものは好き、もっと好きになりたい。みんながそうであれ、という意味ではなく自分の目標みたいなものかも。
*1:某ネト○ンにうちのサイトはオタク至上主義にカテゴリわけされていて、笑いました。やっぱそうなのかしら。
ヲタク趣味って女と付き合ってパンパンSEXしてると驚くほど無くなっていきますよ。自分にとってのヲタク趣味って言い方悪いけど「代替品」だったのかなぁ、なんて最近思うのデス。
↑みたいな考え方、否定しきれないんですよね。自分もオタクですがエロゲやプリキュアは恥ずかしいからやらない見ないって態度です。昔は何どんぐりの背比べしてんだ、と自己嫌悪してたんですけど、最近は「自分はオタクだけど他のオタクとは違うと考えないとやっていけない器の小さい人間なんだ」とわかるようになりました。「時間は有限なのだから好きなものを好きなように消費すればいい。ただ自分がわからないものを触れもせずバカにするようなことさえしなければいい」、というのが今の結論です。くますけさんも「自分はオタク趣味は代替品だったと達観できるレベルの高い人間なんだ」という意識がアイデンティティなんでしょう。(ただの釣りコメントでしょうがw)こういうのはオタク世界に関わらず人間の普遍的な問題で差別しちゃいけないとかも似たようなもんだと思います。口では平等と言ってても差異や優越感がないと安心できないのが人間の本能なんでしょう。嫌いなものは嫌いでしかたないけど、そういうものが好きな人がいることを認めよう、ということを具体的な方法論でやっていくには…どうしたらいいんでしょう…地道な啓蒙しか今は浮かびません長文すいません。最後になりましたがコミケ、楽しんできてください!!
自分の場合、はじめて本屋で少女マンガを買った時がもっとも「覚悟」が必要でした。。今思うとそこが「一線を越えた」瞬間だったのかも。
「作品は楽しいところを探して楽しもうとするときに楽しくなる」という言葉、ここで初めて知ったんですが、いい言葉ですね!面白さとか楽しさっていうのは、与えられるだけだとすごく弱いんですよね。やるだけじゃなく作るのと同じで、与えられるだけじゃなく求めるという気持ちが大切なんだと思います。せっかくオタクになれたこの人生。積極的に楽しいことを見つけて楽しんでいきたいです。だからこそオタクに足りないのは覚悟だけじゃなく、積極性なんだと思います。同じオタクでも、創作したり企画したりしている人の方が元気だし楽しそう。例え受け手側だとしても、積極的にその楽しさを享受したほうがより楽しくなるんじゃないかなと。そして、そのための覚悟なのかなとも。
>あと、お金。これのせいで思いっきり楽しめないんですよね。時間も制限無ければもっといいのですが、ある程度はお金でどうにかなるし。
「俺に足りないのは、何かを楽しもうとする覚悟だ」という言葉が胸を撃ちました。自分は流行っている作品を避ける傾向がありまして、みんなが見ているのではなくてマイナーな作品を見て、みんなより自分はマニアックというか他の人より知識が深いだと優越感に浸ったり、流行っている作品なんて中身がないよと中身も見ずに決め付けたりしていました。今思えば完全に中二病でした。そういうことによって素晴らしい作品との出会いを自ら狭めていたと思うとかなり人生を損していると思いました。人に踊らされるのは嫌という考えで流行り物を見ないという考えも流行っているからという理由で作品の本質を見ていないので結局は人に踊らされているのでしょう。流行っている作品に踊らされるのは嫌という幻想は捨て去って純粋に作品を見て、つまんないと思っていたけどこれすごくおもしろいという出会いをたくさんしていきたいと思いました。どんな作品でも積極的に見て何でも楽しめるようになったらすごく人生が楽しくなるだろうと思います。
一部の作品を避けるのってやりますけど、それって自然だと思うんですが。映画でも自分のジャンル外ってあるじゃないですか。それを無理にアニメとかマンガとかゲームで一まとめにして全部好きとか言うほうが不自然かと私は思っていますただ、人にその好き嫌いを押し付ける行為だけが問題だと思うんですよ。でよく一般の人(?)叩かれるオタクの悪い面というはそういう「価値観の押し付け」かと。
はじめまして。『げんしけん』の話があったので。私は斑目さんの“オタクはなろうと思ってなるもんじゃなくて気付いたらなっているもの”という言葉を意識して、笹原の“覚悟”の言葉はスルーしてました。 確かに、“なっているもの”とは言いえていると思ってますが、そこに踏み込む事は出来る人としたいけど踏み込めない人がいるんだなぁと思いました。
この記事を見て自分がなぜこのサイトが好きなのかわかりました。たまごまごごはんを見てると、記事の隙間から「とにかくなんでも楽しんでみよう」というたまごさんの姿勢が伝わってきて、幸せな気分になれるのです。ほんとに文句なしに素敵な考え方だと思います。私が偏見を捨てて色々な作品に触れ、良作を探し出す楽しみを知ることができたのは、たまごまごごはんのおかげです。ありがとう。たまごまごまごごはんって打ちそうになった。
オタクなら面白いもの全てに触ればいいと俺は思いますでも触れても何が有るわけでもないですよね・・・作る立場の人間ならそれは義務みたいなものなんでしょうけど
女性と付き合ってるオタクも結婚してもそのままの人もいっぱいいるんだけどね?ヲタク趣味ってなくなっていきますよ=ヲタクはみんなモテナイからやってるだけwヲタク趣味がなくなっていきました=自分の場合こうだった文意というものに気をつけてコメントしましょうね。価値観の押し付けなんてオタクに限らずやる人いるのですが?オタクの悪い面=価値観の押し付けというのはオタクの中には価値観を押し付けるものという偏見があるからでしょう。(それはただの個人差)一般人から叩かれてるのはなにより「キモイ」というイメージでしょう。私の場合ディープなオタからすればオタクといえないレベルで一般人から見ると間違いなくオタクなレベル。まぁつまりオタクなんて言葉が指すのなんてそんなもんですから気にせず好きなものを楽しむのが一番ということですね。
追記私の友人に到底オタクといえない流行に流されまくりの人いるのですが(まぁ流行オタクといえないこともないですが)、「良いんだってコレマジで。やってみちょっと」としょっちゅういってくる(そのくせ一ヶ月もたてば興味失ってるし)奴がいるんですがこんなのどこにでもいるし。お見合い大好きおばさんとかだって感想さんのいう例に当てはまると思いますし。この場合のヲタクに限らず野球ファン(あまりオタクとは言われない不思議)にしろ洋楽マニアにしろそういった押し付けをする奴もいるしひっそりやってる奴もいる。なので「価値観の押し付け」をオタクの悪い面なんていうのは無理がある。オタクは価値観を押し付ける。格好に気を配らないからキモイ。同人誌やら作画やらについて語りまくる。モテないからはけ口として二次元にハァハァ言ってるだけ。ロリコンで陵辱監禁大好きでエロゲーやりまくってる性犯罪者予備軍。そういったイメージが一般人から嫌われ、自分はオタじゃないという人が増える原因なのでしょうね。
はじめまして。文章、大変興味深く読ませてもらいました。以下、僭越ながら私見を述べさせてもらいます。積極的に物事を楽しもうとする意識、大事なことだと思います。ただ、それが度を過ぎると、楽しもうとするばかりに自分自身の気持ちを蔑ろにしたり、自分の感性を軽視するといった危うさも滲み出てくる場合もあるのでは?「つまらない」ものを「面白く」だけではなく、「つまらない」ものを「つまらない」とする、これも同じく大事なことだと思います。たとえば・・恋をしてる時には意中の人の仕草はどれも可愛らしく見えるものですが、事が結婚に及ぶと、相手のプラス面とマイナス面を慎重に考えるようになるのではないでしょうか。楽しいことを積極的、能動的に探しながら、他人とは違う自分を「自覚」し、自分で評価し、その上で楽しむ。オタクに徹する限り、オタクに求められているのは「覚悟」と「自覚」、あとお金(笑)かと考えます。Blog文の主旨と違っていたらすいません。オタクの定義付けは個人個人で違うためかこういう話題は難しく、また、いろんな意見が出て面白いです
はじめまして。「覚悟」と言うのは「金や時間がかかる」のも無論ですが、「自分の上限」を越えてみた人達の事だと思います。「できない」「無理」「何もそこまで」最初っからこう思ってる人には絶対越えられない壁でしょうね。「自分のキャパシティ」を自分で決めつけてるみたいで。「越える」と実に楽しいんですがね。「食わず嫌い」はなくなるし、(とりあえず首突っ込んで「あ、生理的に合わんわ」ってのはありますが)。趣味のカテゴリーが増えて、「これ以上ついていけん」と思ったらそこでブレーキかければいいだけで。ただ、趣味の押し付けはいけませんな。むしろ、「自分が楽しそうにしてるところを周りに見せる」事で「ちょっと興味持ってきた」と思わせる方がベターだと思います。それでこちらに色々聞いたりするならできるだけのバックアップはしたいですしね。
はじめましてです。スタンスにすごく共感したのでコメントさせていただきます。 自分がいわゆるオタク文化に最初に触れたのはライトノベルだったと思いますが、その中で「こんなに面白い話があるのに知らないまま過ごしていたなんて勿体ない!」と思うものがたくさんありました。その時期から徐々に、偏見の目で見ていたアニメやマンガなんかも、とりあえず売れているもの・勧められたものは見てみよう、面白かったら儲けだ と考えまして、その時から格段に取っ付きやすくなった気がします。こういうことですよね?一時は布教厨と化してたりとか、今となっては苦い思い出です。自分はやはり偏見の目を気にしてオープンには行けないので、好きなもんは好き と言えるネット(ブログ)環境があることに感謝してます。
恋とはするものではなくて落ちるものだと言います。オタクも同じでなるものではなくて堕ちるものでしょう。
おたくも極め尽くせばそれで食えるようになります。「おいしんぼ」の世界じゃないですけど「究極のおたく」となりましょう
筋肉少女帯再結成初のニューアルバムだ!ロッキンホースバレリーナが目印。あの名曲「イワンのばか」ニューアレンジも収録。
「アオハルッ!」元気はつらつに飛び回る子供たちの淡く明るい、恋愛と友情、そしてアホの子。明るさが目にしみてなぜかじわじわ涙がにじむ逸品。
まったく別展開の小説版は、子供たちの姿にスポットをあてたジュブナイル。コイル好きなら新鮮に楽しめます。
タカハシマコ「乙女ケーキ」。百合好きなら特に「タイガーリリー」は必見。少女達の身体感覚と心のありかを繊細なタッチで描いた傑作集。
乙ひより「かわいいあなた」。やさしく流れる時間と、ゆったりとした安心感と体型。女の子同士の情の通い合いをしっかり描いた傑作。
星里もちる「わずかいっちょまえ」。あの子供だった日々を思い出す人へ、子育てをしている人へ、次の世代の子供達へ伝えたい、私の選ぶ一冊。
あさりよしとお「なつのロケット」あの時、全力で科学へ挑もうとした心をぼくは忘れない。「まんがサイエンス2」とあわせてロケット入門書としても使える一冊。

 

[ 536] 「ゲーマーにとって自分の死は快感」研究を考える | WIRED VISION
[引用サイト]  http://wiredvision.jp/news/200803/2008031822.html

また、死に方も数え切れないほどだ。多くのゲーマーと同じように、私はこれまで、自動小銃『AK-47』を使うテロリストに殺され、気味悪い毒グモに殺され、エイリアンの投げる破砕性手榴弾で吹き飛ばされている。
その他にも、中世の剣で突き刺され、恐竜に襲われてまっぷたつに引き裂かれたこともある。私の存在に気付きもしない、建物20階分の高さの、歩く戦争兵器に平然と踏みつけられたりもした。
しかし、こんな説がある。こうした「死」の体験が、ゲーム経験のなかでも、ゲーマー自身にとっては最も楽しいものだったかもしれない、というのだ。
この論文のなかでRavaja氏が達した結論は、あまりに直感に反していて驚かされる。ゲーマーたちは敵を射つことが好きなのではなく、自分自身が射殺されたときに喜びに満たされるというのだ。
まったくその通りだ。Ravajas氏は自らの実験で、被験者となる36名のゲーマーたちに複数のセンサーを装着した。これらのセンサーは、主要な顔の筋肉の筋電図活動や皮膚伝導レベルなどを測定し、その感情状態を詳細に記録するものだ。
さて、実験の結果はどうなっただろう? 敵をやっつけたとき、被験者の筋電図活動は急上昇したものの、顔の表情は悲しみとして記録された。
「これは、勝利と成功が喜びをもたらすのではなく、敵を傷つけ、殺してしまうことが苦悩あるいは怒り、またはその両方を引き出すということだ」とRavajas氏は説明している。反対に、ゲーマー自身が殺されたときは、センサーが「肯定的な反応を示す、非常に興奮した感情」を検出した。
Ravajas氏は、ゲーマーたちがこのように感じる理由について、確信はしていないものの、独自の理論を展開している。人間がゲーム内の敵を殺すときに苦悩を感じるとしたら、それは心に植えつけられたモラルに背いた行為だからだというのだ。
つまり、人間は、たとえそれが仮想世界の中であっても、人殺しが悪いことだと認識しているということだ(興味深いことに、この主張は「脱感作の理論」と相反するものだ。仮想上の敵を殺しすぎると暴力に対する感覚が麻痺する、と心理学者らは懸念している。ゲーマーたちがこの感覚の麻痺に抵抗していると思われることに、Ravajas氏は「安心した」と述べている)。
しかし、Ravajas氏の実験結果でさらに奇妙なのは、ゲーム内で自分が死ぬことに興奮を覚えるというところだ。同氏はこの原因を、殺されることが「ゲームへの没入から一時的に開放されること」を意味するからだ、と考えている。一人称シューティング・ゲームのプレイヤーは、非常に緊張した状態にいるので、たとえ自分の身体が粉々に吹き飛ばされたとしても、一時休止できることに喜びを感じるというのだ。
私が『Call of Duty 4』のようなシューティング・ゲームをプレイしているとき、自分の感情は以下のように推移する。戦争で荒廃した建物を駆け巡り、甲高い笑い声を上げるテロリストに追い詰められた私は、自分の視界いっぱいに血が染み渡ってくるのを目にする。胃は緊張でカチカチになり、隠れる場所を半狂乱で探し求めていると、そのとたん、大きな衝撃を感じる――散弾銃を持った男たちでいっぱいの部屋に転がり込んでしまい、顔に大打撃を受けたのだ。
地面にペチャンコになった自分の死体を眺める私は、確かに困惑している。しかしこの困惑の感情は、同時に感じている「安堵」の感情ほど強力なものではないのだ。自分の身体の緊張がほぐれていくのを感じる。
実際、多くの場合、私はゲームに激しく没頭してしまい、身体をひどくこわばらせていたことにさえ気が付かない。私は死にたいとは考えていないと思うが、自分の精神を健全に保つためには、おそらく死ぬことが必要なのだ。
しかし、すべての死が同等というわけではない。これは奇妙に聞こえるだろうが、殺されることが他のゲーム以上に楽しく感じられるゲームがある。なぜなら、デザイナーのなかには、美学的に、そして遊びの理論的にに「満足のいく死」を作るセンスにおいて抜きんでた人たちがいるからだ。
そうしたゲームのなかでも、私の一番のお気に入りは、間違いなく多人数参加型オンラインゲームの『Halo 3』だろう。自分が死ぬ瞬間に、このゲームでは唐突に一人称から三人称へと視点が切り替わる。Haloの世界における動きは非常に動的に表現されるので、手榴弾や顔面への汗まみれのパンチで死亡すると、多くの場合、死体は、投げ上げられたぬいぐるみ人形のように手足を激しく揺らしながら優雅に回転し、空中に舞う様子を目にすることになる。
これは要するに、瀕死の体験をした人々が報告している幽体離脱体験によく似たものだ。しかも、Haloでの体験は実際の幽体離脱体験を上回る。なぜなら、Haloではかなり高度なカメラ制御ができるため、リスポーン(復活)を待つ間、私はまるで好奇心の強い幽霊のように、自分の身体の抜け殻の周りをうろつき、冷静に調べることもできるからだ。
これは奇妙に優雅な「禅」の瞬間であり、戦闘時の「戦うしかない」という興奮状態と、見事な対照を成している。
もちろん、三人称視点への切り替えを採用しているシューティング・ゲームは他にもたくさんある。しかし、『Halo 3』の開発元である米Bungie社は、これを、ゲーム体験によって紡ぎ出される一種の詩的な体験のレベルにまで高めている。
この切り替えを「死のアーキテクチャ」と見なすこともできる。ゲーム・デザイナーはこの機能にもっと注目すべきだ。この世で確かなのはただ1つ、誰もが死ぬ運命にあるということなのだから。

 

[ 537] TechCrunch Japanese アーカイブ » 未読メール2433通は、起業家にとってのチャンスだ
[引用サイト]  http://jp.techcrunch.com/archives/a-crisis-in-communication/

今受取ったばかりのこのメール(個人名等は消してある)は、新規の出資について私が相談しようとメールしたベンチャーキャピタリストからの返信なのだが、読んでみてどう思うだろうか。
まともにメールの返事を書けていないことは重々承知しています。いろんなやり方を試してみましたが、うまくいきません。届いたメールは全部読んでいるし、どのメールにも返事を出そうと真摯に取り組んでいると誓います。が、それでもダメなんです。
最近、いままでになく出張が増えています。非公開株式の件や、スタートアップへのアドバイス、講演、夏のアイアンマンレースに向けてのトレーニング、あと、幸いなことに休暇もいただきました。その結果、Gmailにログインする頻度がかなり減ってしまいました。が、実はこれが健全な成長なのかもしれません。
有難いことに、私が役立たずのさすらいの失業者になりつつあり、[XXXXXX]をコントロールすることもなくなったおかげで、以前は日に千通以上あったメールが減ってきています。できれば、メールは両親からだけ、それも[XXXXXX]の天気の様子を知らせてくれるだけになるまで、この傾向が続いてくれればいいと思っています。
いずれにしても、みなさんとお話できることを楽しみにしています。まずは、みなさんのご辛抱に感謝いたします。
メール以前の日々を思い出す。そうでない人は、おそらく、電話がいかに重要なコミュニケーション手段だったかを理解できないだろう。電話が鳴れば、受話器を取ったものだ。今では、人前で電話に出るのは失礼だとされている。
メールがすばらしいのは、非同期なところ、つまり届いてもすぐに対応しなくてもいいことだ。私や多くの人にとって、インスタントメッセージも同じだ。IMには即座に返事をすることもあれば、24時間後のこともある。相手はふつう返事が遅くなることを覚悟しているので、不快には感じない。Facebookのメッセージも、Twitterや携帯メールも同じような特長を持っている。
しかし、この新しいコミュニケーション手段の便利さは、その量が増えることを意味している。ほとんどの人にとって、今日要求されているコミュニケーションの量は、人間の能力をはるかに上回っている。全部のコミュニケーションに返事をしている人はほとんどいない。そして、コミュニケーションの量は、返信はおろか、受信したものを全部読むことすらできないところまで来ている。
私は定期的に「メール破産」宣言をしては、受信箱を全部削除している。しかし、それでもなお現在、受信箱には未読メールが2433通ある。さらにFacebookの受信箱にも721通、あとSkypeのメッセージウィンドウが30ほど開いていて、返事をしないままになっている。もちろん、携帯電話の留守電も満杯なのは言うまでもない(それ以上新しいメッセージが録音できない、という点が気に入っているので消去しようという動機がほとんどない)。
メールをどうしているかって? 差出人と題名をざっと見て、価値のありそうなメールを探す。私の時間を無駄にしないとわかっている人や、本物の友だちだ。あるいは、私が一生のうちの何分かを割いてでも開いて読むべきだということを、理解できる内容を表した題名のメールだ。
最近、私にメールでインタビューを申し込んだのに返事がないと、コメント欄や他のブログで文句を言っているジャーナリストがいた。が、後にその同じ男から来たメールに、あるAOLとYahooのドラマが匂わされていたとき、私は即座に返信した。これには彼もちょっと腹を立てていたようで、それはわかる。しかし、私の脳ミソが、インタビュー申し込みのメールを見たときには「これは急ぎではない、今晩返事しよう」と言うのに対して、特ダネかもしれないと思えばすぐさま対応しろと言う、という点を彼は理解していない。もちろん、夜になれば別の火事を消さなくてはならないので、受信箱の中には、いずれ返信しなければいけないメールが2437通溜まることになる(2段落前から、ここまで書く間に数が増えた)。
この件についての長期的な答えは、コミュニケーションの要求に対して返事をするために、人間がもっと一生懸命返事になれ、ということではない。長期的な答えは、われわれが人生を楽しみつつ、重要なメッセージを逃がさないための新技術を誰かが作り出す必要がある、ということだ。その解がわかっていれば、私はこのブログをやめて、そっちをやっている。しかし、どこかの誰かは、われわれの電子コミュニケーションをもっとうまく制するためのアイディアの手がかりを把んでいる。そして、いつの日かそれを製品にしてわれわれを救ってくれるかもしれない。
われこそは、われわれみんなを救うアイディアを持っている、という人はメールで知らせてほしい。いや、今のは訂正。私の家に来てアイディアを話してほしい。せっかくのメッセージが受信箱に埋もれてしまわないように。

 

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